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通過
クリスマスはあっさり私の横を通過していきました。枕元には何もありませんでした。残念。
たかがキリストの誕生日にどうしてプレゼントなるものが発生するのか謎です。wikipediaで調べてみたら、クリスマスってのは愛の日でもあり、そういう気持ちの表れがプレゼントらしいです。
サンタの起源はキリスト教の教父、ニコラウスって人にあるみたいです。
バイト先は程よく混んでました。クリスマスに寿司なんて食うなよ、と思ったのは秘密。だって日本固有の行事じゃないのに、日本特有の食い物を食べるのっておかしくはないですか。中には「クリスマスなんてしらね。あくまで私は日本人だから」の気持ちで寿司にした人もいるかもしれませんが、そんなのは少数派で、多くは「クリスマスだから」の安易な気持ちで寿司にしたに違いないのです。寿ですから。
年末はお持ち帰りがカオスなことになるそうです。ベテラン勢が続々と辞める意向を見せている中、果たしてちゃんとやっていくことはできるのか、不明です。
まあ存外何とかなるだろう、と楽観的な気持ちであるのですけど。
そのバイト先で23日の深夜、飲み会がありました。まだ酒飲めないのでずっとジュースでしたが、ああいう場では多くの人の違う面が見られて面白いですね。酒という人の本性を暴きたてる魔法の薬によって、幾人かの内面を垣間見ることができました。
私は穏やかな人生を選択してきたせいで、今までに人生を変えるような大事件なんてものはもちろん、大怪我も体験してこなかったため、仮に酒を飲んだとしてもさらけ出される本性なんてものはまったくありません。しかし、その場に集まったのは18歳以上の青年たち。私にとっては対岸の火事でしかない恋愛で悩む人もいれば、対人関係なんていう、真剣に入れ込む必要なんてどこにもないものに悩んでいる人がいたりします。
そしてそんな人達に語りかける、こんなことを言ってはその人達に失礼ですけど、たかだか2,3歳しか違わない人がいる訳です。
端の方でトランプをしている連中もいたりします。
最終的に泣き出した人を見ていて、「どうして自分はこういう人生を選択してこなかったのだろう」と思いました。
バイト先には高校生がいますが、彼らの会話を盗み聞きしているとますますそれを強く感じてしまいます。
もちろん今だって努力次第ではそれを叶えることは可能なのかもしれません。でもいざ冷静になると、別にそれを欲していないのがわかります。
以前に抱き枕のニーズが、とか言ってましたが、それはこういう感情の延長線上にあるのではないかと。
あれです。
最近飯島愛氏がよくわからない亡くなり方をされましたが、かの方はブログにて「対人関係が面倒」的な書きながら、それでも「孤独は辛い」的なことを書いていました。
きっと多くの人がそんな感情を内包しながら、ある人は抱き枕にそれをぶつけているのでしょう。
……
そんなことを書いている自分が悲しくなってきました。
PS:飯島愛氏の件でデヴィ夫人がブログで何か書いてました。不謹慎ですが、面白かったです。
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