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ケータイ小説(客観)

 先日、絶望先生の単行本を買いに本屋に行ったのです。本屋って大概オススメ本みたいな、本を紹介する小さなコーナーがあると思うのですが、その店は中央にそのコーナーがあって、大体映画化されたやつの原作とか、そんなものが置いてあるんです。
 そのコーナーのもの全てがケータイ小説でして。
 いや、びっくりしたというより、時代が変わったなぁ、とまだ18にもなっていないのに感慨深くなってしまいました。

 最近、ケータイ小説が流行りみたいですね。随分前の夕刊に特集が組まれていまして、何ソースかは知りませんが、年間売り上げの一位が何かのケータイ小説で、二位が東野圭吾の『赤い指』三位がまたケータイ小説だったみたいです。
 個人的には東野圭吾の『赤い指』がそんなに売れていた事実に驚きです。
 しかし、やっぱり売り上げを第一とする出版社、本屋からしてみれば、やっぱりこれからはケータイ小説だよね、とメインにするのも悪くないと思うのです。だから、世の活字好きの皆さんは「ケータイ小説なんか読むか! あんなものに小説とつけるな!」と激昂なさっているかもしれませんが、一度冷静になって考えてみましょう。

 という訳で、どちらか一方に偏ってもフェアじゃないので、公平に客観と個人の二部に分けようと思っています。

[客観]

 本離れが進行している現在、ケータイ小説は今の中高生にぴったりのスタイルと言えます。そんなに多くない分量、分かりやすいストーリーと、想像することを放棄しつつある若者(客観じゃない)にはまさにうってつけでしょう。
 大体、時代の流れを考えてみてください。日本最古の物語は『竹取物語』と言われていますが、この竹取物語を当時の文字で読むことができるでしょうか。教科書で読んだことがあるよ、と仰るかもしれませんが、一読して意味がとれましたか? とれるようなら古典の授業など必要ないのですが、多くの人が、これが本当に我々の知っている日本語で書かれたものなのだろうか、と思われたはずです。もっと近い時代の作品を例にとれば、森鴎外の『舞姫』もそれにあたるでしょう。
 このように、物語あるいは小説は時代が進むにつれて変わっていったのです。小説系の雑誌、同人活動等のある種のメディアが発達したお陰で今の小説界があると言っても過言ではないでしょう。故に、パソコン、ケータイが普及した今の時代においてパソコン小説(あるいはブログ)、ケータイ小説なるものが出現するのは必然だったのです。
 
 多くの人が指摘するケータイ小説における語彙力のなさ、という問題も、これもよく考えていただきたい。古文で用いられる単語に、今現在使われている言葉はどれだけありますか? そして我々はそれを知らないで不便でしょうか? 答えは否です。
 これは随分昔に流行った日本語の乱れ、ということにも関わってくるのですが、言葉とは進化するものです。日常に使われない単語は排斥、淘汰されて今の言葉があります。即ちケータイ小説とは、限りなく日常に近づけた言語によってのみ構成されたもっとも身近な文学と言えるのです。
 
 表現の稚拙さ、についても、時代の流れが関係しています。鍵となるのはテレビです。
 テレビのない時代、人々の目に見えるものは現実であり、非現実を考えるには想像と本しかありませんでした。絵本は明確な映像を提供してくれましたが、絵本のキャラが動き回るにはやはり想像力が必要だった訳です。いわゆる想像力の遊び、というやつです。
 テレビが普及した現在、ドラマやアニメなどの現実のような非現実や全くの非現実を映したものにより、我々は想像力を必要とせずに架空の世界に行くことが可能になりました。物語はテレビの中で完結し、その後を想像する権利を与えられても、見終わった後の感慨がそれを邪魔し、大多数の人がその先を思うことはないでしょう。あるいはあったとしても、例えば恋愛ドラマなら、そこからの転落、という展開を思う方は滅多にいないはずです。
 つまり現在において、想像力の遊び、というものは行われなくなった訳です。アニメなどでは想像力の遊びが行われていますが、ドラマでそれをする人は、これも滅多にいないと思われます。想像力は手持ち無沙汰になり、次第に失われ、視覚で分かる情報だけが重宝されるようになりました。

 ケータイ小説とは時代の流れによって登場した当然の産物なのです。いわゆる一般人と呼ばれる人達の大多数が失った想像力、言語力の結集であるのです。
 だからこれを否定することは同時に進化の否定も意味し、進化によって培われてきた否定した人々の愛する本来の小説をも間接的に否定していると言え、実に滑稽と言わざるを得ません。
 批判する人達は熟考の末に出された結論がそれなのですか? 
 表面的な嫌悪感で物事を語っておられるのならば、まず自らの認識を恥じるべきでしょう。

 ×××

 これは客観的なんでしょうかね(笑)。
 何か、ケータイ小説マ○セーと語る馬鹿みたいで、書いていて嫌になりました(ぇ)。
 次回は個人的になります。
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ホームレス……

 恐らくセンター試験のことについて書くのがベストのように思うのですが、勉強でも凡庸な私が大活躍できたはずがないので割愛。
 しかし、今の学生には考える力がないのかな、とは思いました。
 例えば、試験会場前のことです。とある大学内で行われた為に各教室で行われた訳ですけど、途中から行けばもちろん中では試験が行われているので多くの受験生が外で待っているのですね。だから、「ああ、中には入れないのか。じゃあ待つしかないべ」とでも思って、皆に従って外で待つのがベストだと理解できるはずなのです。
 ところがどっこい。
 次々とブルータス、お前もか的な勢いで中に入って行こうとする受験生諸君。もちろん止められます。ちょっと待てよ、と。確かに外は寒いかもしれないけれど、ちゃんと時間調べていれば中で試験が行われているのは明らかで、入れる訳がないのは自明の理でしょうと。だから皆寒空の下、参考書でも読みながら最後の足掻きをしている訳でしょうと。
 挙句、終わったと分かれば手早く中に入って行く受験生諸君。待て待て。中ではまだテストの回収が行われているだろうから、教室には入れないよ~とその後姿を見送る私。案の定入口で待ちぼうけをくらっている受験生君。どうしてそんなことも推測できないんだろうと、外で彼らを見上げて私は思うのでした。

 試験を解ける知識は必要でしょうが、それでこういった推測もできないんじゃ、君達の培った知識は一体どこで生きるんですか? と思うセンター試験でした。

 ×××

 で、タイトルの話になります。
 麒麟の田村某が書いた『ホームレス中学生』を遅ればせながら読みました。結構売れているみたいで、本の帯には「泣けた! 感動した! と絶賛の嵐」とか書いてあります。
 田村某は色んな番組で自らの境遇を語りすぎているので、今更本にどれだけのエピソードを盛り込めるものかと、そんなに期待しないで読んだのです。

 一言感想:東野圭吾のエッセイよりかは面白い。

 全体の比率は中学生:高校生が6:4で構成されており、要約すると田村某の絶望と希望を中学生と高校生の二部構成で書き、兄や姉とのエピソード、友達とその家族の暖かい触れあいを交えて進んでいます。
 前半はテレビでお馴染みの貧乏エピソードが書かれていますが、テレビ以上の情報はないのであまり期待すると裏切られます。

 読んでいて思ったのは、ホームレス中学生と銘打ちながら、田村某が書きたかったのは昔の貧乏の境遇ではないということですね。要するにホームレス中学生というタイトルはただの釣り。確かにそれが前提で話は進められていますが、70ページあたりで貧乏エピソードは終わっています。高校生時代にも貧乏時代はあったみたいですが、それもちょっとだけ。

 じゃあ何が書きたかったのか。
 この話、所々で唐突に母とのエピソードが盛り込まれています。どうやら田村某の母親は彼が若くして亡くなられたみたいで、その母親の影がよく話にも登場する訳です。
 恐らく感動した方々はその使われ方に、ありがちな貰い泣きをしたのでしょうが、私はこの母親のエピソードが全然上手く使われていないと思い、正直白けていました。だって最後の話、天国にいる母親への無難すぎるメッセージですからね。何? 母を書きたかったの? と。

 そして1番私が爆笑したのは、「生きることへの興味喪失」という話。
 中学三年生、友達の母親(でしたか)がお亡くなりになった際、その葬式で母の死を実感し、自分はどこかで母の死を受け入れてなかったのだなという、お前他人の葬式で何考えてんだというような話の後に続いて、そのせいで生きることに興味がもてなくなって、天国で母親に褒められるような死を望むっていう話なんですけど。
 境遇の差さえあれ、そんなこと誰もが思うことです。
 それを大層に書くのが文章の妙技と言えるのですが、正直大げさすぎて逆に笑えてくる私。そして生きることへの興味を取り戻す話も、またどっかでありそうなベタベタな展開。人生ってそんなに単純だったかな。

 まあ良い人にめぐり合ってきた証明ではあるのでしょうけど、と思いながら、最後の母へのメッセージを読み飛ばしていました。うん、全く胸にこみ上がるものがなかった。
 
 まとめると、
1:貧乏エピソードは話の中核じゃない。ただの釣り。
2:書きたいことは色々あったんだろうけど、最終的に母親に集約されたのが白けた。

 売れたのは田村某の貧乏エピソードに期待した人が多かったから。私みたいな人は裏切られたと感じるでしょうが、日本人って無駄に感動したがりですから、母親の死ぬ間際の話で感動しました、って人も多いだろうし、生きることに興味を失った、とか書いてあるのを見ると、分かるな~とか感銘を受ける人もいるんでしょう。 
 とりあえずこれで1300円は高い(笑)。

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インテリ


 何となくカテゴリー整理してみようといくつか作ってみたのですが、一応3年くらいコレを続けているせいで、サボり気味とはいえ結構あるもので、それをいちいち分けていくのはあまりに面倒なので途中断念。時間があればもう少し整理されているかもしれません。

 ×××

 クイズ番組によくインテリ軍団というのが登場します。
 他番組で、現役東大生とかいうのをよく見る気がします。
 どうしてそういう人達って中途半端なんでしょうね(笑)。

 昨日、ネプリーグに出演していた慶応に進学しているらしい某さんは、「に」からはじまることわざを1つも言えませんでした。
 いつの日だったか、小学生の1~6年生レベルの問題を答える番組で、現役東大生は60問中50問正解でした。
 前者はともかく、後者はこれで十分じゃないか、と言う人もいるでしょう。ところが東大なんか逆立ちしても受かりそうにない私は57問正解しています。
 
 何が言いたいのかというと、私はインテリって言葉が大嫌いなのです。
 インテリというのは英語のIntellectの略語で、まあ知性って意味です。こっちの意味ですか?
1:物事を知り、考え、判断する能力。人間の、知的作用を営む能力。
2:比較・抽象・概念化・判断・推理などの機能によって、感覚的所与を認識にまでつくりあげる精神的能力。
 のことですよ。
 そりゃ、自分のジャンルになればインテリって言葉に相応しい学力はお持ちでしょうよ。でも基本ああいうクイズ番組の問題って大体一般常識とかでしょう? それを知らないでインテリを名乗っていいのか!

 ……
 いや、いいんですよ(どっちだよ)。
 あんなクイズ番組の知識なんて、人生に不必要なものばっかりです。
 きっとインテリチームの方も、現役東大生もとりあえずは賢い方なんでしょう。でもだからってクイズ番組で視聴者の望むような答えを出せる訳がないんですよ。
 
 私の思う賢さはクイズ番組で正解が分かるとか、そういうことじゃないです。生きていく為に必要な知識を他人よりも多く使える人が賢いってことなんですよ、多分。なのに視聴者はインテリとか現役東大生とか聞くと、名前だけで賢い(=クイズ番組で問われるどうでもいい知識が分かる)と思うから、彼らが満足な答えを出せないと「何だ~」という反応をするのです。
 
 視聴者を馬鹿にしている訳ではありません。気がつけば私もそういう反応をしてしまうことがあるからです。
 そしてその度「ああ、俺って馬鹿だな~」と自己嫌悪に陥っている訳です。
 
 ヘキサゴンでのお馬鹿キャラを笑っている人間の方がよっぽど馬鹿だと思うのは異端なんでしょうかね。

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新年

 新年、あけました。

 二年ほど前からこれを挨拶にしています。
 というのも、テレビとか人々の間では「新年あけましておめでとうございます」なんでしょうが、何がめでたいのか今ひとつ分からないんですね。新年が始まったのがめでたいのか、それとも新年を迎えられたのがめでたいのか、はっきりしないので使わないのです。

 携帯を一応持っているので、何人から来るかな~と恥ずかしながら期待していたのですが、4人からきました。私の狭い交友関係(しかも大して親しくない人間からのメールが3通)がうかがえます。ちょっと悲しいです。

 そうですねぇ。私も年賀状キャンペーンとかすれば、交友関係も広がるんでしょうか。先着何名様、霜直筆年賀状キャンペーン! まあ有名人じゃあるまいし、しかも私字汚いですし、更に本名知られますし、そんなに友達欲しい訳じゃないですし、私にとっては百害あって一利なし、ですね(じゃあ言うな)。

 でも、そういったキャンペーンをして応募してくれる人がいるって実に幸せなことだと思いますよ。年賀メールも何十人から来て、対処に追われてる方もいらっしゃるでしょうし、やっぱり年賀状が全てでしょ! ということでたくさんの年賀状を出したり送ってこられたりする人もいるのでしょう。
 
 新年の始まりは、自分がいかに俗物であるかを再確認する時でもあります。私は日頃、他人とは違うことを目標に生活をしていますが、他人との関わりが如実に現れるこういった時期になると、自分にもちゃんと構ってくれる人がいるだろうかと無性に心配してしまうのです。
 
 新年を迎え、携帯を見てもメールが来てない現実を目の当たりにして心底落ち込んでいる自分がいます。いつ来るかと楽しみにしている自分がいます。
 そういう自分を見ると、何て情けないんだろうとうじうじしながらこうして文を打ち込んでいる訳です。

 今年もこんな風に特別と俗物の間を彷徨う文が続くと思いますが、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

 皆様に幸あることを切に祈っております、多分(ぇ)。
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