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日常、ゲーム、その他のことをぼちぼちと話す場所。

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今年

 恐らく今年最後の更新になります。1年間ご鑑賞ありがとうございました。来年もごひいきに。

 という訳で、今年を振り返ろうと思います。ただの自己満足ですよ。

<読書>

 例年になくたくさん本を読みました。1週間に3冊って、受験生とは思えない読書の量だったような。
 ですが、そのせいで冬休みに入る前、何を借りるか非常に困ってしまったのも良い思い出。結構本の好みがはっきりしている自負があるので(笑)、うちの学校は他の高校に比べて本は充実しているらしいのですが、私の読みたい本が全くないのですね。基本、タイトルのインパクトで選ぶので。
 とりあえず今年、私の読書に多大なインパクトを残した作家さん達を敬称略で。

「森見登美彦」

 デビュー作らしい『太陽の塔』はしっくりこなかったのですが、次に読んだ『きつねのはなし』でおっ! と思い、『四畳半神話大系』で個人的要チェック作家に。『夜は短し歩けよ乙女』は直木賞候補になったんでしたか。
 でも『有頂天家族』といい、面白いことは面白いのですが、毎回毎回決まりきった大団円になるのはバッドエンド好きとしては物足りないような。『きつねのはなし』はちょっと異色作なので、そんな話も書けるのであればまだ化ける作家さんだと思うのですけど……

「伊坂幸太郎」

 数少ない、「最後の一行を読み終えた瞬間、鳥肌」経験を私にもたらした作家さんの1人。でも森見氏と同じく、大体予想できる結末、同じようなキャラが出てくるので紹介したのはいいのですけど飽きてはいます(笑)。
 でも十分面白いと思いますよ。『重力ピエロ』は、すぐにオチが読めますけどなかなか読ませる作品ではないかと。

「群ようこ」

 エッセイストなんだか小説家なんだか、よく分からないのですけど、エッセイは私のツボにぐさりと刺さりました。
 エッセイって椎名誠氏しか読んだことなかったのですが、私、椎名氏のエッセイはそんなに好きじゃなくて、他に東野圭吾氏のエッセイも読んだのですけど、正直あんまり面白くなくて、エッセイってこんなもんかと正直馬鹿にしていたのです。
 ですが群氏のエッセイはうん、面白かったですね。適度な毒舌さ加減が好みです。
 でも小説は好きじゃないです。何と言うか、あまりに生々しいと言うか。

 全般的に見て、男性作家は表面的面白さ、女性作家は心に響く面白さがあったような気がします。何ででしょう。
 
<音楽>

 相変わらずJポップに一切興味がありません。つまらない楽曲がMステを通じて私の耳に流れてきます。最近では歌詞に興味がもてないのに、音もつまらないのでどうしようかと思っています。コブクロとスキマスイッチの違いもよく分かりません。
 ですが、筋肉少女帯の復活など、好みの音楽方面では非常に盛り上がった1年ではありました。CDはそれなりに買ったので、買ってよかったものを取り上げます。

1:『THE BREASTROKE』 coaltar of the deepers

 今年、何が1番感動的だったかって、この「coaltar of the deepers」に出会えたことですね。『さよなら絶望先生』というアニメの主題歌を「筋肉少女帯」のボーカルでもある大槻ケンヂ氏が歌っていて、その演奏は「特撮」という別バンドがやっているのですけど、そのギターのNARASAKI氏が率いているバンドが「coaltar of the deepers」だったという訳です。
 でもどうしてか、アマゾンにもこのCDの新品はなく、どっかのサイトで新品を購入したのですが非常に幸運だったと思っています。
 内容ですか? 2曲目から大衝撃ですよ(笑)。
 ですが、NARASAKI氏の声は万人向けではないですので、友達には不評です。ハマれば抜け出せなくなる魔力をもっていると思うのですけどね。
 ベスト盤なので、『My Speedly Sarah』『Submerge』『Amethyst』などの代表作が収録されています。個人的には『Mummy Lover』が好きです。新品はもう買えないと思いますが、お勧めです。

2:『SUBMERGE』 coaltar of the deepers

 1回これ買ったんですよ。したらレコードが来たんです。
 という2日間落ち込んだアクシデントがありましたが、今日このアルバムが届きました。例によって1曲目から名盤確定。ユーズドですが、買ってよかったと本当に思える代物でした。
 個人的には『The breastroke』が1番好きですが、『Sazabi』も好き。全部好きです(笑)。

3:『新人』 筋肉少女帯

 復活した筋肉少女帯の新作です。
 さすがに『レティクル座妄想』並のカオスさはありませんでしたが、1ファンとしては非常に満足しています。『モーレツア太郎』も聞けましたし。
 でも『イワンの馬鹿』や『Guru』の新録は正直いまいちでした。前者はやりすぎ、後者は物足りなかった印象が。でも筋少はやっぱりいいですね、はい。

 ともかく今年は「coaltar of the deepers」に尽きますね。いい買い物しました、本当に。

<ゲーム>

 ……何か買ったっけなぁ(笑)。
 スターオーシャンのリメイクは気になってますが、今年の話じゃないので割愛。
 本当ならスパロボとかFF7CCとかの話になるのに、買ってませんから、嗚呼。

 
 ともかく、来年も宜しくお願いします。
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 今日の、厳密に言えば昨日の朝刊を眺めていると、広告欄みたいなところに文を上手く書く方法、みたいな本の紹介があったんですよ。
 一時期ブログブームで、今も流行っているのか知りませんが、結構多くの人がブログを始めたことでしょう。ところがやってみると、文を書くのって難しいな、と多くの人が痛感したことと思います。
 ですが、これはむしろ当然な気もするのです。他人が書いているのを見ると、自分も書けるかも、と思う気持ちは分からないでもないのですが、多くの人が書きたがる日常ってのは、大して何も起こらないから日常なのです。その変哲のない日常の1コマを俺は書きたいんだ! と力説されても、変わりばえのない日常を書くのってかなり難しいんですよね。何もないから。

 趣味で物書きをしているのですけど、書き終わった自分の作品を見ていると、最初は書きたいことがあったはずなのに、終わりの方ではテーマが変わってしまっていて自分でも何が書きたかったのか分からなくなっているのです。一本道の迷路を自分勝手に作り変えてゴールも作ってしまった勢いなんですね。要するに詰め込みすぎ。あちこちから勝手なエピソードを付け加えて、結果破綻してしまった素人らしい作品に仕上がっている始末なのです。

 だから最近、小説家の人って凄いな~と思うのは、箇条書きで内容を書いてしまえば別段大したことを書いている訳じゃないのに(いや、人によれば大したことなんでしょうけど)それを適度な長さで書き切り、尚且つ飽きさせない文章力に、ですね(もちろん結末に至る話の進め方、複線のはり方も総合して、ですよ)。

 なので、文を書くのが上手い、という概念は今までよく分からなかったのですが、最近ではどうでもいいことをどうでもよくなさそうに魅せる手腕のことを言うのではないかと。うん。それを上手く書けるようになると文を書くのも面白くなって、ブログも長続きするんじゃないですか。面白ければ多くの人が読んでくださって、コメントももらえるかもしれないですからね。一石二鳥ですね、いや、どうでしょう、逆に面倒になるかもしれないですけど。

 どこぞの大学の入試問題の英文が、ロボットが人に似ていく過程で、ある程度のところでは人はロボットを嫌うのですが、更に似てくると今度は好きになる、という内容でした。思うに何事もそうなんじゃないかな、と。中途半端だと、どんなことも面白くないんでしょう。

 難しいですね。

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サンタ

 メリークリスマス、でしたね。こんばんわ。世の中にはクリスマスを1人で祝ったか、もしくはタモリさんのようにクリスマス? 何じゃそら! と開き直ったかのどちらかの人が多いことでしょう。
 私には幸い家族がいますので家族と……という流れでしたが、日にちの都合上、23日にそれらしいことをしました。だから本番は夜遅くまで塾にいた訳です。

 しかし、クリスマスは夜のパーティーもさることながら、サンタさんの来訪も一大イベントですよね。

 ……え? サンタなんかいない?
 駄目ですねぇ、夢は持たないと。まあ、そういう私の元には、サンタは来ませんでしたけどね。

 お恥ずかしい話ですが、高3にもなって24日の夜、25の深夜はベッドの中で緊張してしまいます。毎年ある訳ではないですが、朝になると何か紙袋が置いてあるんですね。中は大抵お菓子しか入ってないのですが、去年はMDウォークマンが入っていたりと、2年置きに豪華なものが入っていることがあるのです。
 なので、毎年真夜中に私が期待に胸膨らませていたとしても、何の不思議があるでしょうか。
 でも今年は何もありませんでした。あう。

 ×××

 ところで、サンタさんがいないと気づいた時期については人によって違うようですね。サンタエピソードというのは探してみれば結構あるみたいです。
 私は遅かったですよ。小学校の高学年ですかね。例によって緊張して眠れなかった時、偶然父親が枕元に置いたのを見てしまっただけです。

 サンタはいるのか、という問題は、UFOが実在するのか、という問題と同じ類のもののように思えます。要するにいるかもしんないしいないかもしんない。信じる者には見えるのですよ、多分。
 だからある日、1人身の辛さが身に染みたあたりで、「ほっほっほ」と人の良さそうな老人が現れる可能性だって捨てきれない訳です。何くれるんですかね。1人身の寂しさを紛らわせるアイテムって、何があるでしょう。
 ……
 大人の玩t(終了)。

 聖夜にごめんなさい。

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お笑い

 
 今週の月曜日に、レッドカーペットなるお笑い番組があった。塾があったので途中から鑑賞したが、要するに長時間の笑いに向かない芸人の晴れ舞台であるのだろう。
 お笑いは他人の意見が全くあてにならないジャンルである。面白いか面白くないかは人それぞれ違い、お笑いの内容でも好き嫌いが分かれる。私はドッキリはそんなに好きではないが(元々お笑い番組全体に漂う作り物感が、より一層際立つように見えるのです)、ドッキリが何より好きという人もいるだろう。小島よしおが大好きな人もいるだろうし、キャプテン・ボンバー以外の芸人は芸人ではないと言う人もいるかもしれない。しかしそれで誰が誰を馬鹿にできるだろう。少なくとも、理解はできなくても「お前に笑いのセンスはない」などと言ってはいけないのである。

 と前置きしておいてなんだが、最近のお笑いは面白くない。前記したレッドカーペットも全く笑えなかった。お笑い番組は多くなっているが、1時間や2時間の時間枠でずっと飽きずに見ることができる番組は皆無であるように思える。昔がよかった、とは言わない。確かに昔の番組は面白かったような“感覚”はあるが、それは今の番組が面白くないからで、昔だってそう大したことをやっていた訳ではないのである。
 もちろんこうなってしまったのには色んな原因がある。例えば番組の表現の自由が著しく制限されてしまったことだ。これは他のジャンルにも当てはまり、クレヨンしんちゃんもこの余波を受け、今のしんちゃんはしんちゃんのようでしんちゃんでない、と私は思う。昔の番組が面白いと言う人がいるのは、今でできない企画が新鮮に映っているだけなのだろう(今でも続くレギュラー番組とか今でも第一線で活躍している芸人の方々が、昔の方が面白い、と言われるのは宿命みたいなものです)。

 思うに、笑いとはその笑えた一瞬を楽しむ麻薬みたいなものである。
 故に、私が最近のお笑い番組が面白くないと思うのは、その麻薬に対して“キモチよく”なっていないからなのだろう。麻薬ならば更に強いものを求めるだろうが、笑いに関してそれはできない。少なくともゴールデン枠に関しては、あれ以下にはなれても以上にはなれないのである。

 昔の方が面白かった、という人は、耐性がつく前の状態だったから面白いと思えた。
 こう書くと、「面白いものはいつ見ても面白い。現実を認めろ!」と言われそうだ。確かにそうだ。認める。認めるが、それは個人の好き嫌いの問題であり、自分が面白い=皆も面白い、では決してない。万人に受け入れられる笑いがない以上、その反論は成り立たない。

 今の笑いは面白くないと思うし、同時にそういった耐性のついた人達と表現の規制に板ばさみにされて、窒息しそうな印象を受ける。
 レッドカーペットは、芸人達のネタ自体は面白くなかったが、試行錯誤の結果が見られて、そういう側面から見れば非常に面白かった。笑いは進化しているという人もいるだろうし、退化しているという人もいるだろう。恐らくどちらの意見も正しい。ただ、大事なことは表面的な“笑えない”ということを議論するのではなく、自分が笑えるものとは何なのか、ということを冷静に見つめ、その上で今の笑いは……に繋げることだ。自分が面白くない=皆も面白くない、ではないのだから。

PS:でも今年のM1の面子はないと思います(笑)。

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証明写真

 元来写真はあまり好きではないので、遠足とかで誰かがカメラを持ってきて、それで皆と写真を撮るなんて行為は私にとって拷問に近い行為である。写真は物であるから頑張れば何十年も保管できる訳で、それを見てあの頃の思い出に浸れるならばそれでいいが、私みたいにその時の嫌な状況を思い出す人ならば、思い出よりも自分の顔に目がいってしまうだろう。
 それに、写真を撮る時はいつでもあのレンズに顔を向けていなければならない。嫌なのは、撮る人間には我々の間抜け面がレンズを通して筒抜けであるという事実である。なるべくよく映りたいと思う人間の欲望、早く終わらないかな~と面倒そうな顔をしている人間の期待(私はこれですが)をレンズ越しに見ることができるのは、見るのはさぞ面白いだろうが、撮られる側の後者の人間としては不愉快極まりないのである。
 
 なので、先日、卒業アルバムに使うらしい写真を撮られる時、長かった髪の毛の利点を活かして、前髪で目を完全に隠してしまい、三角座りで撮影に望んだ。撮る側の女子からは、「霜君、顔上げて~」と言われたが、断固として拒否した。
 出来上がりを見ると、私の望む通り、私はただの怪しい人間と化していた。むしろそれが後々まで残るのは、恥なんじゃないか、という声もあろうが、私としてはどっちつかずのポジションに置かれるよりは、怪しいとか気味悪い、という駄目な印象で、せめてあんな学校からおさらばしたいのだ。

 十二月も半ばを迎え、願書に必要な証明写真を撮りに行くことにした。テスト最終日、登校途中で撮っていこうと思った。夕方は夜行性の虫がたかる恐れがあったからだ。
 しかし、どうして証明写真機というものはあんなに場所位置が悪いのだろう。コンビニの影にひっそりと存在を主張している。カーテンはある。日はあたらない。前記した夜行性の虫がそこにたかるのも、しょうがないのではないか、と思う。かといって明るいところに引きずりだされても、見られる恐怖と戦って撮影に望むのは精神的によくない。まして私は初めて望むのだ。だったら証明写真機の位置は適切……なんだろうか。議論の余地はありそうである。
 ともかく、多少どきどきしながら機に近づいた。
 早速洗礼を受けた。入口はカーテンで閉められているが、何かで固定されているらしく、気前よく引けば開くものと思っていた私はそこで爽快に躓いた。引っ張っても開かないのである。何か器具があるのかとあちこち見渡し、再度挑戦すると今度はあっけなく開いた。どうやらただの試練だったらしい。
 中は噂通りの狭さで、椅子とモニターしかない。わざわざ写真のサイズを覚えてきた私は驚愕した。サイズは4.5×3.6センチしかないのである。自分で設定をして撮るものだと思っていたので、どこで設定するのかと再びあちこち見渡す羽目になった。しかしどこを探しても書いていないので、多分自分で切るのだろう、という結論に達した。存外不便なものである。
 ともかくいよいよ写真撮影。椅子の高さはよく分からないので目で調べ、モニターを見据える。自分の無表情な顔を見返すのはなかなか面白いものがあるが、長時間見るには辛い。さっさと始まらないかな~と思う私に、阿呆みたいなテンションの機械音声が「リラックスして撮影に臨んでくださいねぇ~」と一言。生真面目な顔で撮影に臨むのは確かに堅苦しい感じがしてよくないだろうが、かといってそのリラックスの度合いもよく分からない。とりあえずモニターの私の顔を色々変えてみるが、どうもしっくりこない。うちの母親ならば特に何も考えずパチリと撮るのだろうが、私はともかく“初めて”なのである。うん。迷うのも致し方ない。何せ700円もしたのだ。全く法外である。

 2回撮ってみて、迷いながら片方を選んだ。700円もしたので取り直しはしたくない。ここでようやくカーテンが磁石で固定されていることを知った。少し恥ずかしくなった。
 出来上がりはまあ無難なものだったと思うが、私の目線が少し下にいっているのが気になった。これも怪しい人を演じたつもりはなかったのだけれど。
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